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【A-3】田中優子さん・高橋源一郎さん・山崎亮さん・辻信一さん「雑×ローカル」(しあわせの経済世界フォーラム2017)

鳥谷部愛(Field of Wings代表)
2017.11.20

2017年11月12日(日)明治学院大学白金キャンパスで行われた、「しあわせの経済世界フォーラム2017」2日目の分科会A-3、田中優子さん、高橋源一郎さん、山崎亮さん、辻信一さんによる「雑×ローカル」の内容です。おおざっぱ、まじわる、など様々な意味のある”雑”をひもといています。(書き起こし:福田恵美さん)

分科会 A-3:「雑」×ローカル×しあわせ 
トーク:高橋源一郎(作家、明治学院大学教授)、田中優子(江戸研究者、法政大学総長)、山崎亮(コミュニティデザイナー、東北芸術工科大学教授) モデレーター:辻信一(環境運動家、明治学院大学教授) 企画:明治学院大学国際学部付属研究所

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内容:「雑」という概念の可能性を探求する共同研究「雑の研究」(高橋源一郎、辻信一)が主宰する、雑談風の雑学トークショー。ゲストには、アカデミズムにとらわれない雑(間専門的でフレキシブル)なスピリットを誇る田中優子と山崎亮。 「雑」にとっては苛酷な新自由主義とグローバル化の時代とは、同時に、「幸せ」が「豊かさ」の尻に敷かれ、「ローカル」が弱者と敗者の代名詞になった時代でもあった。そのグローバル化を超えることなしに、人類の未来がないということがますます明らかになりつつある今、いよいよ「雑なるモノゴト」(多様性、境界性、混合性、マイナー性、不合理性、計量不能性…,etc.)の復権と知のブリコラージュによって、「懐かしい未来」をたぐり寄せる絶好の機会が訪れている!? 


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田中優子) 
このフォーラムで感動したのは、「江戸」をテーマにした研究でやっていることと重なっている、ということでした。どこが重なっているか、少しお話します。 江戸時代の寺子屋は、この絵を見て頂くとわかりますが、生徒が前を向いていない、皆別々の方向を向いています=雑 ラーニング、習うということは、ここではadaptive learning一人一人にあわせてカスタマイズし、違うことをやるということです。一人一人に会った組み合わせを先生が作り、各自ここに勉強する。だから雑然としています。

★雑①=雑然、多様性を含む→ローカルやしあわせにつながる。

ダイバーシティの無い大学にはグローバルはありません。

辻信一) 
でも、実際のグローバリズムは誰かの利益であり、均質さを求められるものでは? 
田中) 
雑は、ごちゃごちゃしていて、ディスオーダーであること。 雑多、雑種、雑兵、煩雑、乱雑、猥雑・・・ 
辻) 
入り乱れてどうしようもない、という悪いイメージがあります。 きれいごとにしない、というのも大事ですね。 
高橋源一郎) 
民主主義っていいの?代議制で出来るの?機能するの? 
田中) 
江戸は寄合制だったので、全員参加が原則でした。ただしこの場合の全員は、一家から一人です。村長や町長はいなくて、上の役のある人はかならず三人一組、チェック機能が働いていました。だから、江戸時代は「長」がいないんですね。ゆるやかに保っている注期でした。 
高橋源一郎) 
今よりも民主的ってこと?だよね。 
田中) 
江戸は儒教の時代と言われますが、それを面白いと思わない人もたくさんいました。この絵は追剥の逆の追いはがれ、なんですけど、収奪ではなく差し上げる、ということ。(一同感心) 
辻) 
分かち合い経済にはやっぱり雑が大事ですね。 
田中) 
新しい経済の考え方が必要かもしれません。

雑②=権威を笑いのめす

ルールが決められると、制限によってそれを潜り抜けようと新しいことが始まります。制限から逃げて、別の事をやる。即ちパロディ。笑いながらプラスしていくといことです。例えば、役者絵が禁じられた時、似顔絵ではない落書きが流行りました。 
高橋) 
バンクシー風だよね! 
田中) 
これは化け物の世界。テキスタイルもこうやってパロディをやっている。役者の物まねや、百人一首になりきった遊びもあります。複雑化していく、雑然とした中になんとなくオーダーが出来ていって循環型社会が成り立っている。 
辻) 
ディスオーダーの中にもなんとなくの秩序がある。複雑というのもいろいろで、 森は複雑なシステムでできているけれど、シンプル。 逆に人間の作るものは何かと煩雑になって行き、問題が生じていく。 江戸はcomplexだけどcomplicatedではない。 
田中) 
これは灰買の絵ですが、江戸はなんでも循環させる循環型経済社会でした。そのもとには、ためておいてもしょうがないでしょ、ということがありました。 経済は、経世済民=万民を救うためのもので、循環やそのための計画も経済に含まれていきます。これをもう一度考えた方がいいのでは。

*事例報告*
山崎亮)
もともとはデザイナーでしたが今はコミュニティデザインをやっています。 コミュニティは雑でないとダメだと痛感しています。 仮説があり 
「住民参加で決めると雑だけどシンプル」⇔「プロがやると複雑になる」。

大阪の泉佐野丘陵緑地の例を紹介します。公園作りを依頼されましたが、2割はユニバーサル、あとの8割は自分たちで作ってもらいました。年間30人のチームを作って、毎年11回講座をやり、その中で公園作りをして10年計画です。 ルールは、来園者が楽しめ、自分たちが案内できること。集まった人は65~75歳がメインで、しかも自分で応募したのではなく、奥さんが応募してきた人が大半でした。その(ほんとはあまり乗り気でなかった人たち)が自分たちのやりたいことをやっていくと、カッコいい作品にはなりません。でもどんどん変化していき、自分たちの公園になっていきました。市民が主体になるところから始まったわけです。 ここで、自分たちデザイナーの役割とは?専門家とは?と悩むわけですが。

雑③=専門でない事 
雑④=完ぺきではない、完成されない

田中) 
欠損や欠けているということが大事なのでは。 
山崎) 
もうひとつ、千葉でコミュニティカフェを作った例をお話しします。 ここも、雑でいい、その方が様々なイベントに使われるようになったという例です.。(最初はデザイナーチックに白くておしゃれなカフェを目指した。それも人間関係をつくるのに数カ月をかけ、じっくり地元の人とコミュニケーションできるような関係性を構築してから取り組んだが、住民が好き勝手をやりだして、ちっともおしゃれなカフェにならなかった。でもごちゃごちゃになっていくほど、住民は愛着を持つようになり、頻繁に使うコミュニティスペースへと変貌していった)

*スピーチ*
高橋源一郎) 
辻さんと最初「弱さの研究」をしていく中で、「雑」を発見していきました。 弱さの研究のときも、最初は障害のある人だけを見ていましたが、障碍者と高齢者を混ぜていくとどちらも元気になる事を発見しました。そこで「Mix」に関心が移って行きました。

雑⑤=変 
雑⑥=楽しい

もともとコミュニティってそういうものでした。子どもの保育園の問題にしても、なんか変だと思います。保育園って子どもだけなんでしょ。でも昔はもし親に用事があって家にいなかったら、そのうちの子は近所でご飯を食べていました。それが分断されてしまったということ。 じゃあどこに行くのか、公園?ってことになるけど、公園もホームレス禁止、大きな声を出しちゃいけないとか禁止事項が沢山になって、結局子どもたちだけを囲っている。保育園ってほんとにたくさん必要なの?騙されているんじゃないの?という疑問はこれに限らずたくさんあります。 学生を見ていても、変だと思う。だいたい入学面接で「貴学は・・・」。貴学って何?って最初思いました。でもみんな「貴学は・・・」といって面接に応えている。 そのなかで、「ちわー」って言って入ってきた学生がいます。奥田君なんですけどね、彼とはカレーの話で6分盛り上がったり、あんまり長いこと面接しているんで教務から叱られたりしました。彼は今まで全部自分で歩いてきて、自分で探してきました。だからこんな子ができるんです。彼を見ていて、いかにわれわれが型にはめられているか、ということなんですね。 
辻) 
われわれは「アンラーニング=学びほどく」と言っています。 
高橋) 
われわれは雑性をもともともっているのに、とくにいい子と言われる子たちは、整理された情報を受け入れてしまう。そして、二項対立構造を受け入れてしまっている。これはやばいんじゃないか、と思うんです。

雑⑦=型にはまらない 
雑⑧=二項対立でない

高橋) 
「歴史は進歩してきた」ということも、根拠なき思い込みではないか、相当アヤシイよね。 明治の近代文学は明治30年代に成立するんだけど、それは東京の一部の人の言葉を正式な日本語にしてしまったことと関連します。それによって日本語の多様性がなくなり、そしてもっとまずいのは、作家たちもその流れに乗ってしまったということなんですね。でも漱石と鴎外は違った。鴎外は江戸武士の事を書き、漱石は旧幕府の人の事を書いていった。そこに近代化に対するクエスチョンがあった。 日本語を一つにしたことで、日本語は貧しいものになったという疑い、中央集権化に資するものになってしまったのではないか、という疑いがあります。 それはすなわち豊かさの切り捨て。多様性こそが生きているものということなのに、多様性を否定した学校は諸悪の根源になってしまった?
辻) 
近代教育が均質性への偏りに加担してしまったということですね。 
高橋) 
3.11以降弱さと雑の研究をしてきたんだけど、そのきっかけは自分の子育てでした。子育ては雑の極み、最初はいろいろ調べたりしたけど、途中で考えるのをやめて、ただただ共に生きるようになりました。親が子供を「育てる」とか、教師が生徒を「教える」というのも、これもほんとかな?というのが私の実感です。大きな間違いかもしれない。雑じゃないととても生きていけないし、子育てなんてできない、わたしも「ちわー」になりました。

雑⑨=生きること  
教わるわけでもなく正しい何かがあるわけもない。 生きることそのものが雑、それをスポイルして社会に適合するように教育することが間違い?

田中) 
サティシュ・クマールさんの「自分を育てる」、というお話がありましたが、それは「自然と結び直す」 ということではないかと思いました。切れてしまったものを元に戻す=雑に戻すというこ とではないかな、と。 
大学でシラバス【講義計画】をつくらないといけないんですが、うごめく学生一人一人と生きていたら、その通りにはならないものです。でも作らないといけないので作るんですが、それ以外の場所で一対一の関係性をつくる必要があると思っています。 総長は理事長、経営者でもあり、文科省からガバナンス=守らせるということを言われるんですが、トップダウンはいいことはありません。ワークショップなどで決めていく方がいいものが出来るし、一緒に創っていく方がうまくいきます。

辻) 
雑⑩=効率的でない事 
長い目で見たときには、雑の方が効率的です。

高橋) 
資本主義は短期間で回転させるものであって、極端に言えば、「自分が死んだ後も継続する」 という考えを排除するものです。

雑⑪=現実に存在しない、目に見えないものを含む (想像力や広い世界を含んでいる。そこには死んだ人や外の人も含む。区別しない、現実と虚構の別がなくなる事でもあり、繊細な神経、アンテナをもつ) 
雑⑫=混ざっている、アイダ、曖昧

辻) 
ギフトエコノミーに対して今若者の関心が高まっています。 マルセル・モースの『贈与論』に詳しいのですが、贈与と互酬に基づく経済です。 今の自由主義は交換の障害を取っ払って市場が自由になるというものですが、K・ポランニ ―は「市場性はほんの一部のもの」と言いました。互酬制の、『お互いさまで生きていくの がいいんじゃないか』ということなんです。 でも、贈与はきれいごとでは?という人もいます。 分かち合いはきれいごと、いや、きれいごとになるとかえってやばいのではないか。「いやいやシェア」も大事なんじゃないか、いやいやながらでも自分を少しずらして分かち合う、ということなんじゃないか。 
山崎) 
いやいやの中から役割や信頼が生まれることが多いもの。切羽詰まらないとそういうものは生まれない、その意味での場が必要です。 いやいやシェア→名刺代わりに何かを差し出す→贈り物をしあう、というシェアの段階、プロセスがあると思います。 学校も同じことです。 
プラチャーさん) 
現代社会は雑と逆の反対に向かって走っています。でも世界全体で「雑」のここと道をとりもどす流れが起こっています。 
江戸時代から雑の精神を見つけたことが素晴らしいです。 中国の陰陽の振り子を感じました。特に東京は極端に陽にふれていて、雑の対極です。だからといって陰に振れすぎるのではなく、バランスが大事。中国の歴史では、毛沢東は長征の中で西洋から中国独自に戻ろうとした。今の中国はすっかり西洋化に舵を切っていますが。個人も社会も陰陽のバランスを保つ事は難しいけれど、マインドフルが必要です。知識人はマインドフルを社会にもたらすことが必要ではないか。 Back to Local が非常に重要です。

<最後に一言> 

田中優子) 

しあわせ、ローカル、雑をむすびつけること。 自分の生活の中で「ローカルの中に」は難しい、グローバリゼーションの中にいると思っている人には大きなヒントがあったのではないでしょうか。 生活の中で、雑とローカルを実践していくことが大事と思います。

山崎亮) 

雑にはいろんな価値があり、雑多な情報があります。グローバルには雑の余地がない。でもローカルだからこそ雑が再現できるのではないか。 雑の価値が地域に出てくることを期待しています。 

高橋源一郎) 

2つのことを言います。 1)芸術でもなんでも、最初は雑です。それがどんどん洗練されてしまう、理論化、法則化されていく。最初の雑を忘れないようにしたいと思います。 

2)シラバスを私はずっと嫌いで書いていなかったのですが、他の人にも迷惑がかかると言われ、小説シラバスを書き始めました。これが案外面白い。大学で教えることなんて何もありません。やっていることを見てもらえばいい。教えるのではなく、彼らと一緒に何かやればいい、その中で学びとはこういうことだとわかればいいのです。当人が学ぶことを手伝うだけ、それが大学です。 That’s All!

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雑①=雑然、多様性を含む→ローカルやしあわせにつながる。 
雑②=権威を笑いのめす 
雑③=専門でない事 
雑④=完ぺきではない、完成されない 
雑⑤=変 
雑⑥=楽しい 
雑⑦=型にはまらない 
雑⑧=二項対立でない 
雑⑨=生きること  
教わるわけでもなく正しい何かがあるわけもない。 生きることそのものが雑、それをスポイルして社会に適合するように教育することが間違い? 
雑⑩=効率的でない事 
長い目で見たときには、雑の方が効率的です。 
雑⑪=現実に存在しない、目に見えないものを含む (想像力や広い世界を含んでいる。そこには死んだ人や外の人も含む。区別しない、現実と虚構の別がなくなる事でもあり、繊細な神経、アンテナをもつ) 
雑⑫=混ざっている、アイダ、曖昧

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